農家たちの誇りと暮らしが一瞬で失われた
パレスチナ・ガザ北部の町ベイト・ラヒヤ。この地は、肥沃な砂地の土壌と良質な水に恵まれ、1967年から始まったイチゴ栽培の名産地として知られてきました。
毎年11月になると、赤く実ったイチゴを家族総出で摘み取る収穫の季節が訪れ、人々にとっての喜びと誇りの象徴となってきました。
ベイト・ラヒヤの町の紋章にも、イチゴの実が描かれるほど、イチゴはこの地域の文化と経済に深く根ざしてきたのです。
しかし、2024年末から始まった大規模な軍事攻撃により、その風景は一変しました。
長年にわたって守られてきた果樹園や農地、温室、灌漑設備の大半が空爆と砲撃によって壊滅。何百ヘクタールにも及ぶ畑が焼かれ、今年はイチゴの収穫どころか、畑そのものが失われてしまいました。
24歳の若き農家ユセフ・アブ・ラビー氏は、「私たち家族の努力、汗、水、全てがほんの数分で消えてしまった」と語ります。
彼は、父や祖父の代から受け継いだイチゴ栽培をさらに発展させるため、ガザのアルアズハル大学で農業工学を学び、ハイドロポニック(養液栽培)温室を独自に設計して実験を進めていました。
しかし、その温室も、戦火により跡形もなく破壊されました。
「農業をより効率的に、低コストで行うための夢の場所だったのに…戦争がすべてを奪った」と、悔しさをにじませます。
国連衛星センター(UNOSAT)による衛星画像の分析によれば、ガザ北部における農業地の39.7%にあたる1,230ヘクタールが破壊されたとされています。
この地域は「ガザの食糧庫」とも呼ばれ、イチゴだけでなく、カリフラワー、トマト、オリーブ、柑橘類、ブドウなども豊富に生産されていた重要な地域でした。
農業は2022年時点でガザ経済の約11%を支えており、域内の輸出品の半数以上を占めていました。
しかし、今では220万人の住民のほぼ全員が深刻な食糧危機に直面しています。
ガザ全体の農地の3分の1に加え、温室の5分の1以上、灌漑インフラの3分の1が破壊され、食料自給が不可能になりつつあります。
国連の報告では、家族の44%がもはや家庭内で自給生産ができず、残りの56%が農業輸入に依存している状態ですが、その輸入も封鎖により停止。
市場には食料がほとんどなく、価格は数倍に跳ね上がり、赤ん坊や高齢者の間で栄養失調や脱水症による死亡も確認されています。
さらに追い打ちをかけているのが、「バッファーゾーン」と呼ばれる地域の拡大です。
かつてはイスラエルとの国境から500メートル以内の立ち入りが制限されていましたが、現在は1キロ以上に広がり、場合によっては3キロにおよぶ制限区域が設けられています。
その中には数多くの肥沃な農地が含まれ、もはや農家が自分たちの土地に近づくことすらできません。
国連人権高等弁務官ヴォルカー・ターク氏は、「このような住民の帰還を阻む行為は、強制移住であり、戦争犯罪となる可能性がある」と強く警告しています。
ベイト・ラヒヤでは、98,000人の住民の大半が農業に従事し、イチゴを中心とした農作物が家計の柱でした。
その暮らしは、ただの仕事ではなく、土地との「親子のような関係」と語られるほど、愛情と誇りに満ちたものでした。
その絆を断ち切るようにして、爆撃がもたらしたのは、命と生業、そして未来の夢の喪失です。
「この地にイチゴを植えられないということは、ただの農業の喪失ではありません。私たちの文化、アイデンティティ、そして希望そのものが破壊されたのです」とユセフは語ります。
翻訳元:TRT Global