世界中がサッカーの祭典に熱狂する、その同じ時間。
ガザでは、一人のサッカー選手が、まだ見ぬ息子に会うことのできないまま命を落としました。
パレスチナ・ガザ地区のハーンユーニスを拠点とするクラブでゴールキーパーを務めていた、サリム・カデル・アル・アシュカル選手。32歳でした。
彼は試合会場へ向かっていたのでも、戦闘に参加していたのでもありません。
家族が料理に使うためのガスボンベを手に入れようとして、外出していたと報じられています。
華やかなW杯の裏で、パレスチナの人道危機は未だに続いている。
家族のために調理用ガスを探していた
ガザ地区では、燃料や食料、医薬品をはじめとする生活必需品が深刻に不足しています。
調理用ガスも簡単には手に入りません。住民は販売場所を探し、危険を承知で長い距離を移動しなければならないことがあります。
報道によると、アル・アシュカル選手は家族のためにガスボンベを調達しようと、バイクでハーンユーニス北東部のアル・カララ地区を走っていました。
その途中、軍の銃撃を受けました。
病院へ搬送されましたが、負った傷により亡くなったと伝えられています。
医療施設では、医薬品や血液製剤なども不足していたと報じられています。銃撃による負傷だけでなく、必要な治療を十分に受けられない環境も、人々の命を脅かしています。
まだ見ぬ、初めての息子
アル・アシュカル選手の妻は妊娠中でした。
生まれてくるのは、夫婦にとって初めての男の子だったと伝えられています。
父親になることを楽しみにしていたであろう彼は、息子の顔を見ることも、その小さな身体を抱きしめることも叶いませんでした。
ニュースでは、「32歳のゴールキーパーが死亡した」という一文で伝えられるかもしれません。
しかし、失われたのは一人の選手というだけではありません。
一人の夫であり、これから父親になるはずだった人です。
そして、その帰りを待っていた家族の未来でもあります。
1009人という数字の一人ひとりに人生がある
Anadolu Agencyなどの報道では、2023年10月以降、ガザおよびパレスチナのスポーツ関係者少なくとも1,009人が死亡したと、パレスチナのスポーツ関係機関が発表しています。
その中には、プロ選手だけでなく、子どもたち、アマチュア選手、コーチ、審判、クラブ職員なども含まれています。
数字が大きくなるほど、私たちはその一人ひとりの顔を想像しにくくなります。
しかし、1,009人という数字は、同じ人生が1,009回繰り返されたという意味ではありません。
それぞれに名前があり、夢があり、家族がありました。
練習を重ね、仲間と笑い、勝利を喜び、敗戦に悔しさを感じる日常がありました。
アル・アシュカル選手も、その一人です。
世界がW杯に熱狂している一方で
サッカーは、国境や言語を越えて人々をつなぐスポーツです。
世界大会では、選手たちのプレーに歓声が上がり、勝敗を超えた感動が生まれます。
ガザの人々も、瓦礫や避難所の中で、限られた電気やインターネットを使いながらW杯を見ています。
サッカーを見るわずかな時間が、過酷な現実から心を離し、人々が同じ場所に集まって笑顔を取り戻す時間になっているからです。
しかし、その一方で、サッカーを愛してきた選手たちの命が失われ、競技施設も破壊されています。
パレスチナサッカー協会の関係者は、選手を含むスポーツ関係者が一般の市民と同じように戦争の犠牲となっていると訴えています。
スポーツが平和や連帯を象徴するものであるならば、競技場の外で失われている選手たちの命にも、同じように目を向ける必要があります。
遠い場所の出来事で終わらせないために
私たちは、日本からガザの状況を直接変えることはできないかもしれません。
それでも、知ること、忘れないこと、伝えることはできます。
ニュースの向こう側にいる人を、単なる人数としてではなく、自分たちと同じように家族を愛し、働き、未来を思い描いていた一人の人間として考えることができます。
パレスチナには、サッカー選手だけでなく、石鹸職人、オリーブ農家、医師、教師、子どもたちなど、それぞれの暮らしを守ろうとしている人々がいます。
日常とは、特別なものではありません。
家族のために食事を作ること。
仕事へ行くこと。
スポーツを楽しむこと。
生まれてくる子どもの未来を思い描くこと。
アル・アシュカル選手が命を落としたのは、まさにその日常を守るために外出したときでした。
彼の名前を忘れない
サリム・カデル・アル・アシュカル。32歳のパレスチナ人ゴールキーパー。
家族のために調理用ガスを探しに出かけ、帰ることができませんでした。
そして、初めての息子に会うことも叶いませんでした。
世界がW杯のゴールに歓声を上げるとき、その華やかな舞台の外で、サッカーを愛した一人の選手の人生が失われたことを、私たちは忘れたくありません。
参考記事・出典
theWORLD「W杯の裏で…… パレスチナ人GK、イスラエル軍に殺害される お腹の息子に会うことは叶わず」
Anadolu Agency「Gazan goalkeeper killed by Israel before seeing his 1st child」WAFA「Goalkeeper of Khan Yunis Services Club killed by Israeli forces」
※死亡者数などの数値は、記事公開時点におけるパレスチナのスポーツ関係機関および各報道機関の発表に基づいています。
「パレスチナ最後の石鹸工場を未来へつなぐ」
10世紀から続く伝統製法で作られたオリーブ石鹸。パレスチナの伝統産業として、今も大切に受け継がれています。










