この貴重な文化と技術を守るため、皆さまのご支援をお願いいたします。
私は、世界のオーガニックコスメ(化学農薬・化成肥料・環境ホルモン不使用、遺伝子組み換え技術不使用)を取り扱う輸入会社 YOUR ORGANICS合同会社 の ふじわら と申します。
2024年4月28日(日)、パレスチナの石鹸工場から「戦火に巻き込まれた」との連絡を受けました。状況は深刻で、石鹸作りの継続が困難な状態です。
パレスチナでの戦火が広がる中、会社としても、個人としても微力ながら支援を続けてきました。
しかし、今回の彼らに降りかかった悲劇的な状況を知り、自分たちの支援が 中途半端なものに過ぎなかった ことを痛感しました。
心苦しい現実が続きますが、今起きていることを ありのままにお伝えします。
どうか最後までお読みいただけますと幸いです。
ヨルダン川西岸地区、ナーブルス地方に訪れた戦火
パレスチナ西岸地区の状況は、ただただ言葉を失うものでした。
現在の戦火は既にガザだけではなくパレスチナ全土へと広がり、子供と女性を中心に、多くの市民に犠牲が出ています。

石鹸の主原材料であるオリーブを生産する農場も戦場と化し、入植者によってオリーブの樹が伐採され、焼き払われました。
その結果、昨年度はほとんどのオリーブの木が実を結ぶことができなかったといいます。
そして、2024年4月15日には、石鹸工場を営む一族の中から犠牲者が出てしまいました。

*注:写真の男の子は別の被害者。彼らの親戚の子ではありません。
ガザとは真逆に位置する穏やかな地、ヨルダン川西岸地区のナーブルス地方。
安住の地のはずでした。
日本語で得られる現地の情報は殆どなく、英語で情報を取得していましたが、語られる現実は悲劇でしかなく、その惨状にただただ絶句しました。
現在では毎日銃声が鳴り響き、毎日一般市民が凶弾の犠牲となっています。
ガザ地区への本格的な軍事攻撃が始まった2023年10月7日以降、同地区に住む117人の子供たちが命を失いました。
パレスチナ最後の石鹸工場
ナーブルスの石鹸は10世紀から現在まで、パレスチナ・西岸地域で作られてきました。しかし政治的な緊張や軍事的な衝突、度重なる戦火により工場の多くが閉鎖されました。
1900年代には数十軒あった工場が、今ではたったの2軒しか残っていません。

(出典:PASSIA)
その歴史は古く、現存する記録ではこの地域では10世紀頃から石鹸交易が始まりました。
15世紀から16世紀にかけて地中海の隅々の島まで流通。そこから英国のクイーン・エリザベス1世までの道のりを辿りました。

エリザベス女王1世はこの石鹸を大絶賛し、その後ヨーロッパ人女性の間に美容成分を多く含んだパレスチナの石鹸が広まっていくのにそう長くはかかりませんでした。
イギリス統治時代(1920年-1949年)、イギリス政府は1934年にロンドン協会でその石鹸の分析を行い、その成分が完全に天然で化学物質無添加であるというお墨付きを与えました。
香港総督を務めたイギリスの政治経済学者・旅行家ジョン・バウリング氏(John Bowring)は、1830年代に、”レヴァント(東部地中海沿岸地方の歴史的な名称)で非常に重要とされている石鹸”と評価しています。
パレスチナに10世紀より伝わる伝統的な手作り石鹸の製法は、石鹸一族Tubeileh(トゥベレ)家に伝わる特別な製法を用いて造られています。
床に敷き詰められた石鹸は石鹸工により成形され、積み上げられた石鹸の美しい幾何学模様は度々世界に伝えられました。
この石鹸を切る石鹸工は、Tubeileh(トゥベレ)と呼ばれます。
彼らこそ、この石鹸工の正式名称の語源となった一族です。

現在私たちが日本で販売するパレスチナ石鹸「ナーブルスソープ」は、トゥベレ一族が新たに手掛けた石鹸で、海外先進国向けに新開発したハイグレードモデルのオーガニック石鹸。
ナーブルスソープは国際オーガニック認証エコサートを取得し、原材料に化学農薬不使用・化成肥料不使用、環境ホルモン不使用、遺伝子組み換え技術不使用のエビデンスを有する信頼ある認証済み石鹸として、現代に残る世界最古の石鹸の一つとして、販売されています。
2024年12月には、戦火の中、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。

現在販売しているのは2023年までに製造された製品です。
更に石鹸工場側の話では、エコサート認証団体がパレスチナエリアへの審査員の渡航を完全停止している関係で、今後製造された製品にはエコサート認証が付与されなくなったと説明されました。
主原料であるオリーブの畑も戦場となり、オリーブの収穫量は著しく減っています。

奪われる土地、破壊されるオリーブの木
ヨルダン川西岸エリアの悪化し続ける状況
停戦が合意されても、パレスチナ西岸地区での入植活動は止まることはありません。
国連の人道問題調整事務所(OCHA)によれば、昨年10月以降、入植者によるパレスチナ人への攻撃は 1000回以上にのぼり、子供660人を含む1390人が家を失いました。
パレスチナ側は、治安当局がこうした暴力的な入植者による集落攻撃を黙認しているとして、繰り返し非難しています。
今、この地では入植者による土地の略奪が激化し、パレスチナの人々が世代を超えて守り続けてきたオリーブ畑が無惨にも伐採され、焼き払われています。
大切に育てられてきたオリーブの木は、次々と切り倒され、家族の暮らしを支えてきた財産が奪われていきます。
オリーブの木は、パレスチナの象徴であり、人々の生活の要です。しかし、その収穫量が減少することで、オリーブオイルの生産も大幅に落ち込み、深刻な影響が広がっています。
特に、ナーブルスソープのような伝統的な石鹸工場にとって、これは致命的な問題です。主要原料であるオリーブオイルの価格は高騰し、供給が追いつかなくなっています。

終戦は不可能か
平時の感覚で聞くと卒倒してしまいそうな事件ばかりですが、彼の地はロシアでのユダヤ人の迫害を背景にパレスチナ移住が盛んになった19世紀末から100年以上の間ずっと有事の地なのです。
今回のきっかけとなる2023年10月7日、ハマスによる攻撃で1200人が死亡し、251人が人質となりました。
それ以降、ガザだけでも41,000人以上が死亡、9万人以上が負傷。同地区は封鎖され深刻な水・食糧・物資が枯渇する状況が半年以上続き、動物のエサを食べて飢えをしのぐ状況です。
ガザは事実上人の住めない場所に変わりました。
パレスチナの人々には、文字通り自由や独立は許されていません。

石鹸を購入していただくことで、パレスチナの伝統産業支援につながります。
パレスチナで製造されている石鹸を購入することで、現地の石鹸産業を応援していただけます。
しかし、戦時下の影響により輸送が極めて不安定な状況にあり、ご購入いただいた石鹸が日本に届かない可能性もございます。
その場合は、全額返金を保証いたします。
また、現在の円安の影響も重なり、価格が割高になっておりますが、それでもなお、パレスチナの職人たちは「この伝統石鹸をぜひ日本の皆さまに使ってほしい」と願い、製造を続けています。
パレスチナ全域で続く厳しい状況の中、彼らの想いが込められた石鹸をお届けできるよう努めてまいります。


支援金の用途とリターンの発送について
支援金は、石鹸購入費用・国外輸送費用・国内輸送費用・輸入手続き費用・一時保管費用・各種税金・広報費用・石鹸発送費用、そして工場運営存続のサポート支援活動に充てさせていただきます。
輸送費や広告費が想定よりかさみ足が出る場合でもプロジェクトは止めません。私たちが責任をもって負担いたします。
パレスチナからの発送は非常に不安定で高額になるため、数がまとまってから行っています。発送時期については、商品ごとに記載しています。
発送に遅れが生じる場合は前もってご連絡いたします。また、パレスチナの状況により商品が届かない場合は、全額返金とさせていただきます。

変わらぬ想いとともに受け継がれる伝統石鹸
この石鹸には「悲しみや不安」ではなく、創業時から変わることのない「平和と感謝の気持ち」 が込められています。
戦火の中にあっても、その想いは一度も揺らいだことはありません。
悠久の歴史を持つパレスチナの伝統石鹸と、紛争による被害。
この二つの相反する情報を伝えることに、どれほどの方が賛同し、どれほどの反発を招くのか、まったく予測がつきませんでした。
しかし、これは「偶発的な出来事」ではありません。
日々、子供たちや女性たちの命が奪われ、数千年続いたオリーブ畑の半数以上が壊滅し、石鹸工場の存続さえ危ぶまれる状況になっています。
それでも、私たちはこの伝統を未来へとつなげたい。
パレスチナの経済を支えてきたこの石鹸産業を守るため、今、皆さまの力が必要です。

→ パレスチナの石鹸に関する歴史、製品情報、背景を以下にまとめました。
伝統について
パレスチナに10世紀より伝わる伝統的な手作り石鹸の製法。
それは石鹸一族Tubeileh(トゥベレ)家に伝わる”Family Secret”です。
まるで石切り工のように石鹸を切る職人の正式名称はTubeileh(トゥベレ)と呼ばれます。
彼らこそが石鹸工の語源となった一族です。

歴史について
現存する記録では、この地域では10世紀頃から石鹸交易が始まりました。
Nablusで女性たちが家庭用に製造していた小さな石鹸が、15世紀から16世紀にかけてベドウィン族によって地中海の隅々の島まで流通。そこから英国のクイーン・エリザベス1世までの道のりを辿りました。エリザベス女王1世はこの石鹸を大絶賛し、その後ヨーロッパ人女性の間に美容成分を多く含んだナーブルスソープが広まっていくのにそう長くはかかりませんでした。
イギリス統治時代(1920年-1949年)、イギリス政府は1934年にロンドン協会でその石鹸の分析を行い、その成分が完全に天然で化学物質無添加であるというお墨付きを与えました。
香港総督を務めたイギリスの政治経済学者・旅行家ジョン・バウリング氏(John Bowring)は、1830年代に、”レヴァント(東部地中海沿岸地方の歴史的な名称)で非常に重要とされている石鹸”と評価しています。

原材料のヴァージン・オリーブオイルについて
パレスチナの西岸地域(West Bank)はオリーブオイルの生産で有名な地域の一つです。
オリーブの木はこの地域で数千年にわたって栽培されており、パレスチナの農業と文化において重要な役割を果たしてきました。
オリーブの収穫は年に1回、10月の初めから11月の中旬にかけて行われます。
この時期パレスチナの農村はとても賑やかに。農民たちはまるでお祭りや祝祭のように楽しみます。
日の出前から日の入りまで家族全員が参加し、老若男女問わず一緒に収穫。
畑が遠い場合はお昼ご飯を持参し畑で食事をとります。
その様子はまるでピクニックのようです。
今では、オリーブの収穫そのものが命がけの作業となり、農家が自ら畑に入ることすら危険な状況です。そのため、やむを得ず収穫作業を外部の業者に委託せざるを得なくなっています。

パレスチナのオリーブ収穫は基本的に機械を使わず手で摘むことが特徴です。
手摘みにこだわる理由はオリーブがパレスチナ人にとって大切なものであるという意識によるもの。
また、機械を使うとオリーブの実が傷つき高品質のオリーブオイルが生産できないことが挙げられます。
パレスチナのヴァージンオリーブオイルはその品質と特徴的な風味で知られ、国内での消費だけでなく輸出市場でも高い評価を得ています。
多くの地域や国際的なコンテストで賞を受けており世界中で人気があり、また、フェアトレードの原則に基づいた取引や認証も行われ農民の経済的な持続可能性をサポートしています。

Nablus1611伝統石鹸について
Nablus1611伝統石鹸は60-80%以上のバージンオリーブオイルを含み、完全に天然、植物性の成分のみで生成されているため、毎日の使用に適しています。ナーブルスソープは保存料を含んでおらず、動物実験を行っていません。ナーブルスソープは合成物質を添加することなく100%天然成分で作られているため、100%生物分解性です。これは肌だけでなく、環境にも優しい作りです。
Nablus1611伝統石鹸はオリーブオイルと塩の混合物をベースとして少数の天然成分のみで作られるオーガニック石鹸。天然成分の力を最大限引き出す為に、石鹸一族トゥベレ氏に400年以上も続くレシピで作られます。石鹸の塊は製造者のトゥベレ氏によって整形され、特徴的な幾何学形に積み上げられます。使用に適するまでは、それから更に数ヶ月乾燥されなければなりません。仕上げに「NABLUS(ナーブルス)」と刻銘されます。